インナーチャイルドを癒して~的な話になるのだろうか
ボウルビィ辺りをまた読んでと思って、ふと”ボウルビィ インナーチャイルド"で検索
岡田尊司の本からの引用が主のようだけど
【愛着障害】子どもの四つの愛着パターン | コスモ・ライフォロジー (cosmolifeology.com)
人間関係が苦手・作れない根本原因と解決法 | 酵素ダイエット断食とおうちエステのHBIサロン (hbi-salon.com)
スティグマに関して
懲罰的代理
幸福を追求することの権利
緒言
スティグマの語源は「恥もしくは不信用の印」という意味で,何かを決めつけられて失格者やだめな人と決定づけられ,烙印を押される状態を意味している。糖尿病という病気は,ともすると,自らの食生活などの摂生の不足が招いたものとして,食事や運動などの自己管理を怠っただめな人というレッテルを張られ,自業自得であるとスティグマが付与されてしまう。
一方,スティグマには,「感じるスティグマ」と呼ばれる内在的なものがあり,「予期するものを感じるスティグマ」と「内面的なものを感じるセルフ・スティグマ」が含まれている(塚本,2010)。内在的スティグマは,ステレオタイプ的な疾患のイメージを患者自身がもつことで,自尊感情を低下させることにつながる。スティグマは他者からみられている自己評価を下げ,自己への感情と評価を下げる。その結果,自尊感情が低下するとされている(土屋,2012;塚本,2010)。
自尊心の回復
自己受容
スティグマ
ラベリング
回復のロールモデル
治療回復へのモチベーションとして、自分はできっこないからとラベリングし防御している
失敗することを恐れている
失敗
慢心することはいけない、己の無力さを認めよとはしょっちゅう言われる事であり間違いであるわけでもない
だが、アクション・行動を起こす気力を奪ってはいないか
あの時はこうしてしまった
これが原因だった
ならば原因を取り除けないか考えよう
挑戦してみよう
自己肯力感などというが、とにかく、”自分はなにもできないわけではない、一人ではできないかもしれない、失敗もするかもしれない、でも一人ではないのかもしれない、応援してくれる人が現れる可能性はあるのかもしれない、やってみる価値はあるのかもしれない、あの人みたいに依存症と折り合いをつけて生活できるのかもしれない”
そう思えるようになるためにも、卑下しすぎてしまっている状況とその心理、その防衛機序、そのデメリット、認知行動療法に関してなどを軸に展開できないだろうか
心理学者アルバート・バンデューラの「自己効力感」とは?
https://studyhacker.net/albert-bandura
バンデューラの理論【一問一答】
https://www.career-consultant.info/go_bandura/
特性的自己効力感尺度 の検討
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjep1953/43/3/43_306/_pdf
自己効力感, 不安,自己調整学習方略,
学習の持続性に関する因果モデルの検証
認知的側面と動機づけ的側 面の自己調整学習方略に着目して
†
伊藤崇達
神藤貴昭
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jmet/27/4/27_KJ00003905691/_pdf
https://kotento.com/2020/06/25/modeling1/
https://www.katsuiku-academy.org/media/modeling-bandura/
https://mentally.jp/well-being/7690
https://waniblog.info/be-yourself/10691
https://www.katsuiku-academy.org/media/modeling-bandura/
ボウルビィの愛着形成~とか確認して、そしてバンデューラを併せて読むか
積読片付かず再読の嵐
あまりにも多くの本を読みすぎるのは悪いことなのでしょうか?
盲信
教材として読み、思索するのでなく
ただ"正しい答え"を覚える、だけになってしまうのかな。
内容を読んで正しさ・・というかしっくりくるかを判断するより、売れている、あるいはもっともらしいことを言っている気がする(って流石にこれは表現として失礼か)文章を
読書という行動を起こしている事で、考えている、理解しようとしているという気になっているが実は自分で考えているというより他人の考えを鵜吞みにして終了
納得(理解、というより納得なのかなと。理解…論理。納得…感情。で)
出来ない場合は考えるのでなく他の本を読んでみたり
読書
宗教
思考停止
神学とは探求する学問だ
思考し疑問を持つことを許されないのか
敬虔さが足りないと?
----
有名な警句がありますね。
"読書とは他人にものを考えてもらうことである。1日を多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でものを考える力を失ってゆく。" (読書について / ショウペンハウエル)
まぁ読書によって知識は増えるはずなので、どんどんバカになっていくとは一概には言いがたいとは思いますが。およそ本など物する書き手の側は、それなりに賢い人が多いはず。読書が進むにつれて、手に取る本も徐々に高度な内容になっていくのは物の道理でしょう。しかし読む側の知力が劣っていると客観的批判的に読む作業が追いつかなくなるのか、やがて読んだ内容を盲信し、書いた人を崇め奉るに至る。そういう勤勉なのに残念な人は、たまにいます。