なぜ完璧でないことが怖く苛立たしいのか

今日消防署で救命講習を受講してきた。
偶然だが、先月に一度、そして先週に一度救急車を呼んでいる。

今日の講習で思った事。
実習の段になったとき、一番最初に講師の方にアドバイスを頂き、その後褒めて頂けた。
仮に99点取れたとしても、上手くいかず取れなかった1点の方に目が向き悩み悔しがり落ち込むことがある自分である。
もし他人が同様の発言をしたら、なにを馬鹿なことを言っているのだと言うだろうが自身に対してはそう思えない。
失敗を他人が笑うのではと怯えているのだろうか?
或いは、また今後も繰り返して自己嫌悪に陥るという展開が嫌なのだろうか。
99点を褒められたとしても、でも1点は失敗しているのだと内心忸怩たる思いでいるのだ。


先週の搬送依頼では、傷病者に強い口調で話しかけてしまった事、命令形のような口調だったことを悔いている
興奮していたのだ

 

 

可能ならば、失敗しなくなるまでロールプレイをして、一週間後、一か月後に再度復習したいと考えてしまう。

その必要があるとは思えない。

身近に循環器に問題があるなど持病がある人間がいるわけでも、或いはテニスサークルに入っている等と事故が身近なわけでもない

だが、今後もし今日実習で学んだ知識を実践する場面となったとき、完璧にできなかったらと想像すると自分の不完全さを責めるさまが浮かぶ。