損得勘定・わたしの楽しみ

損得勘定で考えると、社交費・友好費というのは短期的には損かもしれない

友人と食事に行けば出費となる。外食でカロリーも摂取してしまい当然自宅で作るより高くつくであろう。
だが、ストレスも発散できるし知らなかったことを知ることもできる。

それに親交を深めるということそのものは金銭的には代えがたい満足感がある。

だが、度が過ぎれば、その時間をより生産的な活動に回した方が良かったと思う場合もあるであろうし程度の問題か。


通院に関して
通院は費用がかかる。
交通費、診察代、時間、遺失利益(休業損害)等であろう。
とはいえ、病気を治すことで、自分はきちんと病気を認識していて悪化を予防しているのだと考えれば長期的には得となる筈だ。

検診であったり、初期のうち軽症のうちに治療をするべきだその方がトータルでは安くなるというのは様々な疾患で言われる事であり、この病気の場合にも言えると思う。


また人生・将来への投資であり、自分の為にお金を使う事が出来ているという満足感を得ることもできるであろうw

 

日常生活内・・ほぼ毎日の、目先の損得勘定に関して
見切り品の大量買いである。自制心が利かず結局食べ過ぎてしまうのだから自制するべきだ。

半額を4個買うより
定価を必要な時1個買った方が出費も少ないしカロリーも無駄に摂取しないで済む

 

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目先の利益に固執し、長期的には損をしてしまうといった状況になる可能性を秘めています。
また一番の問題として、損得という数字の指標を得られにくいものを無視してしまいます。例えば、人の信頼や気持ちといったものです。
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 楽しみ
 日常の楽しみ
・食べる事
ただ、これは食べすぎて自己嫌悪と紙一重どころか、自己嫌悪しつつやめられないというジレンマがある。
依存行動そのものである。
・料理も楽しい。新しい食材を見つけ、新しい調理法を考え、或いは探し試みる事。

また材料を知る事(このキハダマグロミナミマグロと本マグロとどう違うのだろう。生物学的特性はあるのだろうか。鯖と鯵ではどちらがカロリーが高いだろう。)
・仕事に行くこと
社畜根性かwという。おかしく情けない話ではあるが、自宅にいると空腹でもないのに食べてしまう。
仕事へ行くと、まず単純にお金を稼ぐことができる。
また、以前は出来なかったことができるようになったと実感できる。
他に、より手際よくこなせるようになったと実感することもできる。
他人と会話できることも楽しい事の一つだ。

従業員同士というだけでなく、接客業なのでお客様と何気ない会話を交わすのも楽しみである。

 

・万歩計の歩数カウントが増える楽しみがある。これも仕事に行くと数千歩加算されるので嬉しい。

 

・これも些かおかしな話だが、明後日に救命講習を受ける予定だ。
つい先月、そして先週と救急車を短期間に2度呼び、その度に「あの対処でよかったのだろうか」「もっと改善点があったのではないだろうか」「あの対応は望ましくなかったのではないだろうか」と思い返して思考が巡ってしまっていたので、たまたま夏前に申し込んでいた講習が受けられることが楽しみである。
これも損得勘定ではない。
自己満足だ。
自分が英雄になれた気がするのだ。
自分は無知ではない!無力ではない!こんなに勇気があるのだ!
と、見せつけている気がする。どころかそうなのだ。

とはいえ、自身、十数年前、急性アルコール中毒で搬送されたことが幾度かあったし、てんかん発作で搬送してもらったこともある

 

 今の楽しみ
先日、友人から初めて電話をもらった
その友人に、来週会える
また、もう一人、とても大事な方にも会える
その方に会うのが楽しみだ
今日、手土産を買った
ドリップバックの珈琲と、ヨックモックのシガールで合計で¥1000しないくらいなのだけど、きっと喜んでくれる筈。
そして会ったら何を話そう。沢山話したいことがある
まずは電話をくれたお礼をものすごい勢いで伝えたい
そして、手料理・・お弁当を作ってくれるなんて言っていたからそれも楽しみ
一緒に珈琲を飲んでお菓子を食べたことくらいはあるけれど、一緒に食事をしたことは無いから初めての経験になる予定
以前、料理本を見ながらこのレシピ美味しそうだねーなんて話もしたし、どういう料理を作ってくれるんだろう

・いつかそう遠くない近い未来に、自宅でホームパーティ・・は言いすぎだけど、お茶会をしたいという希望を抱いている
その為にもこの異常に物が多く散らかった部屋を整理し掃除しなければ

 

 

 

 

~~~以下引用文~~~~

(損得勘定について考えたときに参考にした。URLを貼付しなくては。また、行動経済学に関しても読み返してみたい。)

 

 


「今回は、あえて損をする選択をした!」と思ったとしても、その「あえて損をする選択をした理由」まで見ると、あえて損をする選択をした方が得だと思ったわけです。


いくら言い繕ったところで、どんな人も自分の得になるよう動いていると思っているからです。
自分を犠牲にしてまで他人のために動くことも、突き詰めれば自分のためです。結局、他者に喜ばれること感謝されることを自分が嬉しく感じるか、他者から好印象を持たれるのは得であると知っているからです。
ただ、自分の得になるからといって他人に迷惑をかけたり、権利を侵害するようなことは避けるべきだと思います


すべての人間は、というか、あらゆる生物はどんなときでも損得勘定で動いています。良いとか悪いとかの問題ではありません。そういう造りなんです。それぞれ、何が得で何が損かという基準が違うだけです。
なので、何も恐れずひたすら自分の得のために動いてください。自分の得のために動くということを突き詰めると、結局は人のために動く、つまり利他的に動くことが最も自分の得になるということに気づくと思います。

 

長期的な視点や広い視野で損得勘定できれば良いのですが、損得勘定は目先のことに捉われがちです。
目先の利益に固執し、長期的には損をしてしまうといった状況になる可能性を秘めています。
また一番の問題として、損得という数字の指標を得られにくいものを無視してしまいます。例えば、人の信頼や気持ちといったものです。