今日の出来事。

古本屋がある。平日は三冊で百円、土日祝日は五冊で百円だ。今日珍しく平日に立ち寄った。見るとやはり欲しくなってしまう。選んだ。五冊になった。あと一冊足して200円にするか迷った。結局五冊だけ持って店内に入った。お店の方に本を渡した。「百円になります。」そう言われた。「はいではこちらでお願いします。」百円を渡した。袋に詰めていただき店を出た。だが迷った。このまま店を離れていいのだろうか?私は今日が平日だということを、三冊で百円の日なのだということを知っている、分かっている。

なのに何くわぬ顔で店を離れていいのだろうか?後悔しないだろうか?

何分か迷ったあと店内に戻った。

そしてお店の方に、白々しく「すみません、今日は三冊百円の日ですよね。失礼しました。こちらあと、もう百円をお納めください 」と言い百円を手渡した。お店の方は「いいですよー」とおっしゃり返してくださろうとした。

私は「いえ、そういうわけにはいきませんからお納めくださーい」と、そういって再度渡そうとした。その時は本気だった、受け取って欲しかった…かなちょっと自信がない。 

だがやはり、しっかりとした口調で、目を見ながらはっきりと「うん、大丈夫ですから。サービスサービス」と仰って下さり、そして百円で本を五冊購入させていただいた。

実はその本屋さんでは以前にも16冊本を選びレジに持って行き、あ、1冊多いとなった時に「あ、いいですよ、いいですよ」と大目に見てもらったことがある。なので今回も期待していなかったかというと、真っ赤な嘘になる

だが今回はやはり誠実に正当な代価を支払うべきだ、そうでないと後悔すると思い店に戻りもう百円を渡そうと思った。

そして結果サービスしていただいたわけだが、正直これなら最初から本を渡して、そして200円支払って、そしてお店の方に「あ、いいですよ、百円で」などとおっしゃっていただければ、どんなに気持ちよくすっきり出来ただろう。もしそうなっていた場合、今回と同じように支払う金額は百円で済んだかもしれないが、いったいどれだけ心に苦々しさが残らないですんだだろう。今私の心の中にあるのは80%の感謝と20%の後悔だ。白々しくズルをしようとした。その後悔がやはりある。

 

そしてそのあと八百屋さんへ行った。

 

もともと子供の頃からお菓子作りが好きで何週間か前にお菓子を作ったところ、とても友人に喜んでいただけた。

そして日曜日、久しぶりや初めての方とお会いする約束がありやはりケーキを作った。

 



ケーキ作りは少量だけ作るということが難しく、作るとなるとどうしてもある程度の量を作ることになってしまう。半量を友人らに、そしてもう半量をどうしようか?

これが仕事をきちんとしていれば職場へ持って行くなど方法はあるのだろう。だが自分は所属している場がない。

思い浮かんだのがいつもお世話になっている八百屋さんだ。格安でそして品質も良くて。さらに先日などおまけもしていただいた。そのお礼をしたかった。

ただ不安もあった。見返りを求めてではないつもりであった。何度も何度も自分の胸の内に問いただした。本当に見返りを求めてではないのか?今後もまたサービスをしてもらいたいからではないのか?違う違うと必死にいいきかせて、否定して、そしておそるおそる月曜日、ケーキを持って八百屋さんへ行った。

もし手作り品に抵抗がないようでしたら、受け取って頂ければ嬉しいんですけれど。と差し出した。いつも特売品ばかり買わせていただいてますし、それに先日もサービスしていただいて、と。

お金貰っているのはこっち側なのにと驚いた風でいらっしゃった。

やっぱり難しいですかねと焦って引っ込めようとしたら受け取ってくださった。

 

そして翌日火曜日だ。

表に出ておられたのは前日とは違う方だった。

けれど私の顔を見て「昨日はごちそうさまでした」とおっしゃってくださった。正直、やはり嬉しかった。そしていつものように買い物をして、いつもお世話様ですと商品を受け取って・・と思ったら、「お姉さん、これも持ってって」といちごを1パックいただいた。

特に予め用意していたとかというわけではなく、お店の方から一番近い位置にあったから何気なく渡していただいたという感じで。

そういう距離感というか、その空気がすごく嬉しかった。

海老で鯛を釣ったようでなかなかに申し訳なさというか、いいのかなという気もしたけれど、でも嬉しかったのが本音だ。

それはイチゴがただで手に入ったからではない。

気持ちがうれしかった。

その一語に尽きる。

 

あれ、苺と一語がかけてある。