『仲間』

私が最近『仲間』を感じたのは、アルコールの依存で苦しんでいる友人でした。

何か月間か病院で一緒に過ごしていたこともあり色々話をしたり親しくしていた方でした。 

退院したと聞いたときはとてもうれしく思いましたし、あれ、連絡取れないなぁという時にはどうかしたのかなあって心配しました。

友人としてですね。

 

先日再会して、良かったあ、体調崩したのかと思ったよ。と話したら、お酒をまた飲んでしまっていたと。 

「実は、このあいだ会った時ももうスリップしちゃってたんだ」寂しそうな表情で打ち明けてくれて「実はこういうきっかけで飲み始めてしまいそこから止まらなくなって連続飲酒になってしまっていたんだ。 自分はお酒に対しては無力だから、本当見つけてもらってよかったよ。こうやって入院できて。」

と、多少の苦しさ哀しさはありつつも 落ち着いた口調で話してくれた時、そして「でもきっと一年前だったらそんな見つけてもらってよかったとか、入院できてよかったなんてきっと言ってなかったでしょ」そう尋ねてみたら、笑いながら「本当だよ。あの頃は酒やめるつもりなんかゼロだったからね」と。「今回は大スリップしちゃったけど、でももう嫌だから。こんな苦しい思いするのは。離脱症状がじゃなくって、連続飲酒の最後のほうは飲みたくなんかないのに泣きながら飲んでたし。」そう、正直に打ち明けてくれるのを聞きながら、 自然と痛みに共感し、依存先は違えどもやはり同じ依存症の仲間なのだなとそう思えました。 

 

もう手放したい。手放したいはずなのに、うまく手放せない。苦しい。

その事を辛い筈なのに自己開示してくれた時、仲間なのだという意識が生まれたように思います。

その辛さを手放すためにもがいている。話しづらいこともお互い話して、聞いて。

私が困ったとき、苦しい時に力を貸して欲しい、勿論、私が助けられる時には助けたい、それは同じ依存症を手放して楽になるという目標のために。

そう、その目標に向かっている。それを感じられて、まだ手放せないではいるけれどお互いにそれぞれの変化・成長を発見、認め合い励まし合える関係。勇気づけられる関係。

それは仲間でもあり、友達でもあり。

 

 お互い、時にはもがきつつも依存症から卒業していけたらいいなと。

そう思わずにはいられません。