「盗る理由」・「仲間」
覚えている限り一番最初に万引きをしたのは小学生の頃だ。理由はなんだっただろうか。
自分の小遣いで買うにはちょっと高い文房具を盗んだように記憶している。確か一回目は見つからずそして二回目で発覚した。
発覚した時の万引きの顛末はある程度覚えている。夕方に店内をうろつき、ノートやら何やらを片手にめいっぱい抱え込み、その状態で少し店内をうろつき回った後、タイミングを見計らいそれを一気に手持ちのバッグに入れた。
そして店を出て二、三歩ぐらいのところで40代ぐらいの男性の店員、のちにそれが店長さんだったと分かるのだが に声をかけられ、そして事務室に連れて行かれた。
明らかに不自然な量の商品を腕に抱え込んで いたので 当然ではあるが怪しいと気がついてしばらく見ていたのだそうだ。その時の商品代金は約2000円分ぐらいだったように覚えている。自宅の電話番号を聞かれ、そして自宅に電話をしてもらい母が身元引受に来た。
その際に、私が店内をうろついている最中、たまたまほかのお客さんが荷物を落としたと。そして私がその荷物を拾ったというその様な出来事があったのを見ていたそうで、それを母に話し「優しい子ですね」と話してくれたのを覚えている。 そして警察への通報もしないでくださった。
その後、その店には行っていない。
私の記憶が確かならば一緒に帰宅した母は、父親が帰宅する前でよかったと言った。
もし母がわたしを身元引受に行っている最中に父親が帰宅していた場合、どこに行っていたのかと尋ねられてしまうではないか、もしそうなった時、どういうふうに説明するつもりだと。そう咎められたように覚えている。
倫理的な問題を話し合う事はなく、そして父親への報告もなかった。
当時は父親へバレずに済んだことをありがたく思ったが、もしかしたら疑問も抱いたかもしれない。何れにせよはっきりとは覚えていない。
その次に万引きしたのがいつで、それが何だったかはおぼえていない。
CDを万引きしたことがある。恐らく10代の頃だろう。
そして20代半ばぐらいから連続的に盗りはじめていただろうか。
本。衣服。下着。食品。化粧品。 サプリメントなども盗んだ。
なぜ盗んでいたか?どんな動機で盗んでいたか?
劣等感だろう。自分が人より劣っていて、惨めで。
知識面、 外観、体型、普段口にしているもの。
そういったもので、少しでも人より優位に立ちたかった。
『自分が劣っている』と意識しないということは難しく、ならばせめてそのことで感じる傷ついた自尊心を物で覆い被せたかった
ハリボテだということは自分でも分っていた。それでもそうしたかった。
私のとって物は力の象徴であり、その誇示も目的だったのかもしれない。
昨日の晩から泣いていた。
電車の中で考え事をしているうちに涙が一筋二筋流れてしまったし、店で買い物している最中も頭の中で考えが巡りまた涙が流れ、そして帰宅後も泣き翌日も朝から泣いて。
一人では手に負えずどうしようもなく専門職の方に30分以上話を聞いていただいた。
その間もずっと泣きじゃくりながらであった。
そしてその2,3時間後、 同じアディクション仲間とLINEで何でもないやり取りをしたのだが、その最中はふっと笑うことができ、半日以上続いていた胸の苦しい感覚がその時は和らいで体の緊張も少しほぐれた。
また違うアディクションの人であってもたくさん励まされることがあり、そして学ばせてもらえることもある。
入院中の昔話をしたり(ドン引きだったよなんて言ってもらえると気の引き締めと励ましになる) それぞれの苦労話を話したり聴いたり、自分の恥部を開示したり…というより前提として既に知られているパターンがほとんどなのだが。
緊張せず楽しく会話ができる友達でもあり、対象は異なれど依存症という悩みを同じくし、それを克服したいと目標を同じくする。
お互いに励まし合っている。それは励ましの言葉として意識して発言するという事でなく、一つの些細な言動でも勇気づけられることがあり、また依存症を手放す為のヒントを得られることもある。自分と重なる部分、異なる部分、どちらも自分を知るための大きな助けだ、
方法を手渡し、導いてくれ、ロールモデルになってくれるスポンサーも同じく問題からの回復を目指す仲間ではあるのかもしれない
だがやはり、既にステップを終えてある程度回復をし、背中を、歩き方を見せてくれる存在で、お互いに肩を並べて歩き方を模索し、対等の立場、目線で助け合うという『仲間』とは私にとっては違う位置にいる存在だ。
「その考えはやっぱりちょっと偏ってるね、こういう考え方もあるんじゃない」等の助言をしてくれることが多いのはやはりスポンサーだ。
スポンサーは一人だが(※スポンサーの変更は無論ある)仲間はたくさんいる。
どちらも人との繋がりだ。共通しているのは『助けを求めれば掴んでくれる手がある』と思えるという事。
敢えてその違いを考えるとスポンサーは助けを求めたとききっと助けてくれるだろう、間違えたときは叱ったり或いは教えてくれるだろうと甘えさせて貰えるという信頼感がある。
仲間は、困った時には聞いてくれて、助けようとしてくれるだろう、そして相手も困った時には言ってくれるだろうという安心感、信用がある相手と言えるかもしれない。