盗んでいた時は自分の心がささくれだっていた、あるいはイライラしていた。
悲しい気分でもあったかもしれない。ともあれ攻撃的であった。
どういった気持ちであるか、それを見つめようとすら思っていなかっただろう。
そう、大きく言えるのは不正直であった。
中にある苦しい心情。それを打ち明ける以前に、そもそもその感情に気づいていなかった。
向き合っていなかったし、おそらく認めなかったであろう。
弱い自分を否定する必要はないこと、弱さを認めて、更に他者に受け入れられたと感じて、自分が求めていたものに気が付いて。
それを満たすことはまだできていなくても、自分の感情を”感じる”ようになって、過去盗んでいたものと同じものを前にしたり、或いは似た状況になっても盗みたいと思わなくなったように思う。
時間だろう。焦りというのは、やはり。
未来は見えない。当然だ。この先何が起るかわからない。
いつ死ぬかわからない。
私がいつ死ぬのか。そして、私の大事な人がでもある。
これは不安という感情の方が適切だろうか。だが、焦りでもあるのだ。
いつかしなくては後悔することになると分かっているからだ。
何をするのか?口にしづらい感情を相手に伝えるということだ。
非常に苦痛を伴う行い、それを先延ばしにしている。だが、それをしないまま終えてしまっては必ず後悔するのだ。それをわかっている。そして私も相手もどちらも必ずいつか死ぬ、ないし伝えることができない状況は訪れる。
理想を言えば一日でも一時間でも一分でも早く、気持ちを聞いてもらえば良いのだろう。
それをしない自分に対する苛立ちと、言い訳と、不安と。
様々な感情が入り混じっているように思う。
小さな例で考えれば、電車に遅れそうだというときに思わぬアクシデントがあれば焦る。
とてつもない大金持ちであれば、タクシーあるいはもうヘリコプターか自家用ジェットでも飛ばせばいい。だが、私にそんなお金はない。公共交通機関を使うしかない私は相手の都合(時刻表)に合わせて行動するしかないのだ。
やはりある程度お金の余裕というのがあれば思わぬアクシデントにも心の余裕を持つことができイライラする可能性も減るのであろう。