失敗作

親とのTEL会話中。

 

(…略…)

「あなたに関しては失敗だったと思っている。子育てに失敗したと。」

『子供に対して失敗作であるとラベルを貼るのですね。』

「もっとうまく育てることもできただろうに、できなかったことを謝らせてほしい。そう言いたいのです。」

『たとえば、私は同世代の友人○○さんの子供5歳を知ってますが、20年後会った時何らかの理由で(育児失敗したな)と万一仮に思ったとしても、△△君、君のお父さんお母さんは子育て失敗したね、と言うことはないと思います。友人関係という間柄でそういったことを言うということの是非が焦点でなく、それを子供に口に出して言うか?という点で。』

「あぁ、否定してはいけないですよね。申し訳ございません。申し訳ございません。もう二度と口に出しません。大変失礼しました。もう二度と言いませんので。」

『もう二度と言わない等と確約できることでないと思うので、言わないよう気を付けるといったような表現が望ましいと思います。』

「あぁぁすみません、もう二度と口にしません。」

『だいぶ興奮させてしまったようなので失礼いたしますね。失礼いたしました。』

 

 

 

このような会話をした。

一般論として、そのようなことを口に出すのは望ましくないのではないかといったことは言うものの、実際言われて自分はどう思ったかどう感じたかといったことは全く口に出せない。

それが問題だとは理解できているつもりだが、なぜそれができない(することにとてつもない抵抗がある)のか、できるようになるためにはどうすればいいのか。

 

まったくわからない。

 

---追記---

そう言われて傷ついたからであろう。

「お前は失敗作」

そうラベリングされて傷ついたのだと、そう口に出せない。

「傷ついてしまう弱い自分」が嫌なのだ。

自身の内面に変化や思うところがあったかでなく、話の焦点を一般論にすり替えてしまう。

 

一般論としてであっても何故のぞましくない行為とされているのかと掘り下げてみれば、言われると嫌な思いをする人がいるからであり、その嫌な思いというのは悲しいという感情であると、そう思考をたどることもできる筈で一般論を取り上げたところで自分の感情と共振するところがあると白状しているようなものであろうと分かりそうなものなのだが、考えの浅さが露呈している。

冷静に考えるとそう思う。

 

習慣

朝、ニュース番組の途中でじゃんけんのコーナーがある。

2.5時間中に4回だ。

そのコーナーでじゃんけんをするのが日課になっている。

そして、異様なこだわりがある。

欠かしたくないから、アラームを6:53頃に設定して鳴らすようにしていた。

そしてスマートバンドを購入し、まず設定したことの一つに、アラーム時刻をじゃんけんの時刻に合わせて鳴らすようにしたということがある。

また、その習慣を初めてもう何年か経つが、記憶にある限り、一回も『ぐー』以外出していない。

1日4回、週5回+2回、すべて『ぐー』だ。

リモコンの青色ボタンが端にあり押し間違えをしたくないというというのが理由だった気がするが、もはやそれ以外を押したくない。そうなってしまっている。

1日に4回ある勝負のうちすべて『ぐー』を出していれば4連敗ということもないだろう、という考えもある。ちなみに1度、4回連続でぐーを出されてすべてあいこだった日があって、驚いた。

そして何よりも輪をかけて異常なのはその戦績をすべて記録しているという行動、それなのだ。

なぜそのような行動をするのか説明を求められてもできないのだが、実際に続けている。

悪癖とは思わないが、意味不明で病的あるとは思う。

 

ぐー





「できるようになったこと・できなくなったこと」

涙


・人前で泣くこと
・「つらい」と口に出す→「つらい」と感じるのは、己が弱いからだ、己がタフであればつらいと感じずに済むはずだ。
辛く感じてしまうまでは仕方がないにせよ、それを人前でアピールしたくない。アピールするわけでなくとも誰かに口にしたくない。
一人、日記に書きつけるとかであれば抵抗はさほどない。
「ストレス耐性が低い、弱い自分」を主張したくない。
『自分は弱いのだ、だから配慮をしてほしい』とでも言っているような気がしてしまう。
そういうことは言いたくない、疾病利得を求めているようで嫌だ。

そういう理屈であろうかと思う。

・自撮り

・「すみません、先日は自分が間違っていました。反省しました。」と言えた。但し相手は限られるしもっともいうべき相手には言えていない。

・他者に甘えるということ。頼るということ。信用すること。ごく限られた人数だが、ゼロから1以上に変わった意味は大きい

・前よりは正論・理屈に固執しなくなった。一般的な基準からすればかなり拘る、固執する性質であるが、それでも諦めたり我慢したりできるようになったし、できるようになりたいと思えるようになった。

以前は「理屈に沿った正しい意見を唱えているのは自分。であるのだから、自分が我慢する必要などない」であったが、不満を感じてもそれをうまく処理し我慢できるようになりたいと思える場面もでてきた。相手を正論で遣り込めるだけがゴールではないと気が付けた。

 

 

 

・小食、絶食ができなくなった・・・

先週と今日の日記

先週末、久々にバイク屋さんに寄った。十数年ぶりだろう。

週末のウィンドショッピング、といっても買い物をするつもりはないので冷やかしなのだがお店の人と少し会話をしたり、跨らせていただいたり。

その後ショッピングモールの食品売り場では試食販売の方と会話。

 

どちらも二十代のころを思い出す出来事だった。

 

今日もやはり買い物。

スープや野菜や砂糖や魚や。

天気予報では曇り肌寒めかと思っていたが、なかなかどうして日差しがあり半袖Tシャツでちょうどよい塩梅。

それにしても卵が高い。そもそも売り切れだったり、そんな悲しさも味わう今日この頃。

あと百貨店食品売り場での半額スルメイカとスーパー定価スルメイカ、こんなに味が異なるかとションボリ。

また、イサキがお買い得で買ってみたけれど、思いの外脂がのっていて身が柔らかかった。
どちらかというとスズキみたいなコリコリした食感の魚が好みなのもあり、結局塩焼きで頂いてみる。

日常使いのものをワンランクアップしてみましょうなんて聞くけれど、ネタでなしに牛刀が欲しいと思ってしまう。
自分へのご褒美が刃物っていうのも笑っていいのか微妙だけれど、値段張るし実用性あるし・・・尽きせぬ物欲よ。

趣味について

 

ふ、と思った。
趣味にお金がかかりがちなのは無論だが

(ジョギングだって、怪我をするリスクは上がるしそうなればお金がかかる
鉛筆画とかならローコストか)
場所を必要とすることも多いのではないだろうか。
たとえば自分の好きなことの一つである台所関係。
あらゆることの作業スペースは言わずもがな。
ケーキを作ろうとすればオーブンにボールに焼き型にナイフにゴムベラに粉ふるいにetcetc保管場所が必要だ。
一人暮らし40㎡アパートでは不可能に近い。
パンを焼こうとすれば食パンならともかくロールパンをどこで成型発酵させよう。
カレーを作ろうとすればスパイス類の保管場所、あの作業にこの道具、あのレシピにこの材料。
これは雪平鍋でこれは圧力鍋、バットが足りないうんぬんかんぬん。
珈琲だって細口ケトルにドリッパにグラインダにポットに温度計に。
広い台所が欲しくてたまらなくなる。というか一定の広さがないと無理でないかと思う。
楽しむにも資本がいるケースはあるよなーと。
工夫次第で何とかしている人もいるだろうけど自分はできていない。

「無条件」

 

自分は、『アディクションを手放したい』という思いを持っている人間であればだれでも仲間だというような
無条件で相手を受け入れるということができているだろうか。
「この辺が不十分だ」「こういうところには問題があるのではないか」「この人は本当に手放そうとしているのだろうか」
などと裁いているように思う。
ただ一つの条件さえ満たしていれば、あとは無条件に受け入れる。
そういうことをしてもらったくせに、自分はできていない。

そう思う。

欲張り

昼休憩中の出来事。

昼食を急ぎ気味で頂き、バックヤードから電話した。

交換で若干時間がかかり苛々した。

特別その日だけ時間がかかったという訳ではない。

ただ、あと何分しかないのに・・っ、という焦りの気持ちだ。

 

時間に余裕がないと怒りを抱きやすく、普段苛つかないことであっても苛立って感じられる。

だが、そもそもどれも諦めたくない、つまり食事も取りたい、電話での連絡もしたい、両方叶えようとしているからそうなるのではないだろうか。

電話での連絡を優先したいのならば食事を諦めればいい。

幸い、今回は電話での連絡も果たせたし食事も完食している。

とはいえこのような焦りの感情から苛つくという事は日常的に起こっている。

怒りをコントロールするという事が大切なのはもっともだが、それ以上に自分で自分を苛つかせる状況に置いてしまっている。

あと何分で電車が発車するのに中々コンビニのレジが進まない。

そのような状況も、電車を優先するのか一本遅らせても買物を優先するのか、そもそも余裕をもって自宅を出る為にもう少し早く起きる(=睡眠を諦める)ことをすれば良いのか。

全てを諦めず得ようとする欲深さを少し自覚すれば苛立ちも減るのかもしれない。

 

蛇足。全てを得たい!という願いが技術を発展させることもあるだろうがそれは大局的すぎる話に感じてしまう。とりあえず日常レベルでの話だ。