自助グループ運営に関して

馬を水辺に連れていくことはできるが水を飲ませることはできない。

 

依存症などの当事者が作る自助グループの強みは、のどを乾かしている馬がどういう水を飲んだ時美味しいと、もっと飲みたいと感じるかという事を実体験で知っているという事だと思う。人それぞれの事情でのどが渇いてしまった。
似た境遇の人がアドバイスをくれるかもしれない。
のどが渇いていると認めなくても、やがて水を欲していると気が付くことがあるかもしれない。
だから、水場を整備しておく。

 

そして思うのが、この水場の整備をコミュニティ全員で行うのが望ましいだろうという事だ。
誰かひとり、或いは少数の誰かに任せきりで、たまにやってきてのどの渇きを潤して帰っていくお客さんという構図はやはり疑問に思う。
とはいえ、初期というかまだ喉が渇いて乾いてしかたがない状態の時に水場の整備まで行うのは難しいであろうからある程度回復した人間が、過去に水場を整えてくれた人の後を引き継いで整備をするという形を望みたい。

 

あなたがこの水場に来るかどうか、飲むか飲まないか、気に入るかどうかはあなたの自由です。
我々は水場を整えて受け入れる準備をしていますし、今飲んでいる人もいます。

そう、目の前でその飲んでいる姿を見てもらう事ができる。

 

 

あと、水飲み場は休憩所や回復所で、目的地という訳ではない・・というのが自分の価値観だが、その整備を仕事や生きがいにしている人もいるいう事も理解しているつもりだ。ダルクの創始者を思う。

 

 

専門家(=医療関係者)の領分、特に知識面等と自助グループの強み、それぞれを生かせればとぼんやり考えた次第である。

 

 

 

配布資料 「なぜ、セルフヘルプグループの参加者はグループ通いが長期化するのか」 – 立命館大学生存学研究所 (ritsumei-arsvi.org)

さらに、F. Riesmann はSHG において、「ヘルパー・セラピー・原理(helpertherapy principle)」の存在を指摘している(Riesman [1965:27-32])。一般的に、私たちは自分がある問題に対して困ったとき自分より知識や経験がある人間を選ぶ。しかし、このような解決方法は「相談する側」と「相談される側」という関係性を相談する以前から規定してしまう。また、このような上下関係が発生せずとも、恩や借りができるといった感情を想起させてしまう。つまり、被援助者になると関係性における地位が低くなったり、自尊心が奪われたりする。しかしながら、逆に援助者になった場合は有能感や自尊心が高まったりする場合が多く見られる。

も考えておきたい

 

また、オフラインは特に費用面、会場を探すことの難しさが大きいが、人間関係や方向性などはオンラインでも同じか

セルフヘルプグループにききました 「団体を立ち上げたきっかけと、 活動のなかで感じること」 / セルフヘルプという力 / 東京ボランティア・市民活動センター (tvac.or.jp)