回避型承認欲求 に関して
「おれ、昔はこんなにワルだったんだぜ
でも今は更生したんだぜ」
というような発言をしょっちゅうしている自覚がある。
意識はしているが油断すると口から出ているという恥ずかしさ。
入院中看護さんに、「今回はちゃんと悪いことしてないですよ!」「外出ノート、ちゃんと時間守りましたよ!!」
「見て見て!」
そんな目いっぱい子供なふるまいを行い、受け入れて貰った。
こんなにお買い得品買えちゃった!
こんな善行しちゃった!
こんな苦しい感情打ち明けられてる私って凄くない?
そんな発言をTwitterやら心の中やらで呟いている。
あぁ、3月にスリップした際に電話、メールで報告した時は、承認欲求ではなかったかもしれない。
承認欲求が生じる理由は不安を打ち消したいからであろう
だが、他人から言われても本当に本心からそう言ってくれているのかと、或いは他の人は認めてくれないのではないかと疑念がわき不安になる
何故そのようなことになってしまっているのか
やはり母子関係に問題があったのだろうか
勤めている飲食店に家族連れのお客さんが来た事がある.
両親,娘2歳,息子0歳だそうだ.
お嬢さん、目が合った瞬間「あのね今度三歳になるのー!」
『わー、そうなの!おめでとう!嬉しいねー』
「うん!でね、弟できたの」『本当、良かったねーじゃあお姉さんだ!』「うん、そうなの!」
『そっかーおめでとうございます!』そしてお嬢さんとご両親に向かって『いらっしゃいませ、どうぞお席にご案内いたします』
承認欲求といえば承認欲求そのものだ.
まっすぐで、それが満たされない拒まれる可能性など微塵も考えていないだろう。
そしてそれは私にとってとても気持ちの良いものだった。
共感
共感中毒云々という書籍を読んだことがある
受容され共感を得ることが、承認されたということへつながる可能性はないだろうか
承認を得て自分で承認できるようになり自己実現・・・?
そんなテキスト通りにいけば世話ないか