仲間 気持ちの変化

いざ”仲間”を考えると、仲間とはなんだろうか。
同じ目標を=回復を、ともに目指す?
だが回復の定義が不明だ
より正確には個人によって異なる気がする

 

鮪漁船であれば、鮪をとり生きて港に戻る
会社などの組織ならともに利益をあげる

だがその場合、前者はともかく後者に仲間意識が芽生えるか?
自分は恐らく同僚と呼ぶ
違いは何だろう

連携プレイの密さ、か?
漁船の場合一人では不可能だ
役割の分担がより明確なのが船の上だろう
一枚板の下は海で,転覆すれば死であるし,連携しなくては漁業ができない

 

ミーティングを回復の為の行動の主体・主軸と考える場合、場を共にするということで仲間という言葉に妥当性を感じられ、そして仲間意識がより生まれやすいかもしれない
・・あれ、ミーティングの和訳って、≒打合せ?(確認しよう)

回復というものを考えると、個々人の行動があり、並走してそれぞれの目標に進んでいて、道を同じくしたり励まし合う事もあるし

やはりチームプレイでなく個人プレイという意識が確実にあるので、大型船に皆で乗るという感覚より一人乗りの個人ボートに乗り・・・ボートですらなく筏の人もいるかもしれない。それぞれの方法で、同じ方向へ向かっている感覚だろうか。

 

だがそれでも、同じように依存症で悩んでいる人、それはアルコールであれ他の嗜癖であれ、

 

 

リスペクトできる人を仲間と考えているかもしれない

だがそれは対等と言えるのか?

なぜなら尊敬していない人がいるという事を同時に内包していないか

 

仲間と言えば、群れだ。

野生の動物が群れを作り社会を作る。

社会を作るピース

ドキュメンタリ番組などでよく仲間という言葉を使っているかもしれない

 

連帯感を感じるか、だろうか

 

 

あぁ、仲間を友人と読み換えていたか?

dic.pixiv.net

ja.wikipedia.org

kotobank.jp

 

 

 

 

 

 

気持ちの変化

 

大型書店に行った.久しぶりに時間の制約もなく興味のある棚を見て回る.

そこで思った事.あれもこれも欲しくなるけれど,

"もしもバレない魔法があったら盗りたいか?"

と考えたら,

『買いたいだけ買えるお金が欲しい』

だ.些か買い物依存的だし物欲が強すぎるのだが,窃盗欲とは少し違うのかもしれない.

無論油断大敵であろうが.

 

あと、キャベツやレタスの外葉を1,2枚拾って購入した商品と一緒に持ち帰るという行為。

それを打ち明けてから、「こっそりと持ち帰りたい」という思いは薄れた。

行為は行っていない。

その事を看護師さんに話したところ、その持ち帰る行為が自身にとってスリップだと思えたからだろうと指摘してもらった。

であれば、ごみとして捨てられている野菜の外葉1,2枚を持ち帰るという行為が窃盗行為のスリップであると思えるようになったのならばそれは大きな気持ちの変化だ。

 

また、トイレットペーパーがなくなりそうで、買って帰らなければいけなかったのだが正直面倒な状況だった。

これまでだったら、どこかの店でトイレを使いペーパーを1ロール、もしかしたらそれ以上持って帰っていただろうが、それをしてしまったら罪悪感や自己嫌悪を感じるだろうと想像できるようになった。変化である。

 


てんかんの重積発作を起こしレスピレータを装着した状態で「明日仕事行きたいので今日中に退院したいのですが」と言ったら『なに馬鹿言ってるの^^』とスルーされたけど,少し時間をおいてみるとそりゃそうだだよな.
ずる休みしてると思われてるんじゃないかとかシフトに穴開けて嫌味言われたらいやだな
とか考えて発言したんだけど他人は基本利害関係しかなく自分を傷つけるものであるという発想は改善されていない
とはいえちょっと前だったら多分"医療者側として責任取れないから言ってるんだ!患者の事情も酌め"と憤慨してただろうけど.そして思い通りにいかない不満を当たり散らしてた
今は『そんなことより体調を心配しなさい』と言っているんだろうと想像できる…かな?まあ「やっぱダメか,参ったなー」と諦めるくらいはできた.

 

 

 

思考の変化

金銭を払わず物品を得た満足感から、"自分のルール"を守った満足感に変化した
キャベツの外葉、パチンコ屋の飴玉、残飯あさり。

止められていないのがスーパーのサッカー台のポリ袋。
パチンコ屋のウェットティッシュ
スーパーの割り箸

 

 

 

 

 

 

 

投げやりだった自分

すぐふてくされていた

周囲のすべてが自分を傷つける存在だとしか考えることができなかった自分

自分を褒めてくれる人が現れ、

 

 

過ちを犯してしまった時は、せめて正直に告白したい

 

 

だがやはり他者に甘える、相談するという事が未だでないようだ

気持ちの変化、なかなかに難しい