窃盗、万引きをしなくなって、1年以上は経つが相変わらず物欲は強いと感じる。
強く感じるのは、相場よりも安いものが入手できるという状況でだ。
レタスが1玉200円が相場だとして限定特価130円で買えるとする。
そういう状況で我慢ができない。
3玉も4玉も買ってしまう。
”ただし、おひとりさま1点まで。 “
そういう但書がある状況ですら、レジを2度3度と通って特別価格で買ってしまう事も稀ではない。
自己中心的で、他のお客さんの事を考えていない行為だ。
また、お店側も客寄せに特価品として販売しているだけである事、その事を理解していてなお我慢せずやっている。
そしてお腹いっぱい食べている。
苦しくなるほど食べることすらある。
買わねば損した気になるというのか?
食べ物以外では、見栄っ張りに原因があったと考えている。
人に傷つけられることに怯えていると。人づきあいが悪くなり。人とのコミュニケーション能力が育たず。ますます?人から遠巻きにされ。 そして自分は嫌われているのだと被害妄想に陥り、という負のループに。 はまってしまいがちであったかもしれない。
初対面の人間と一期一会で喋るのはいいのだ。
実際、その辺の飲み屋なんかで隣り合った人と他愛ない話をしたりするのはずいぶん好きであった。
そう、淋しがり屋で人といるのはなんだかんだ好きなのだろう。
それでいて人に傷つけられることに。対しての耐性が低い。
傷つきやすいし、傷つけられた時にどうやってリカバリーすればいいのかがわからない。
被害妄想的であるということも自分を傷つきやすくしている。
コミュニケーション能力が低く、人から誤解を受けやすければ傷つく機会も増えてしまうだろう。
人との中長期的な関係を育てられない。
怯えてばかりいる。
それでいて寂しがり屋で人が好きなものだから、友達が多い人を羨み嫉妬してマウンティングしたり、健全な関係を築くことが下手だ。
自分の利益を求めて人付き合いをするというのはどうなのだろう。
自分への投資という考え方も可能かもしれない。
何か困った時のために、あらかじめ距離を縮めておいてお互い助け合う。
利益というと何か悪いことのようであるようにも聞こえるかもしれない。
だが楽しいという感情であったり、 自然に笑える環境は欲しいし、その環境に身を置く・或いは作るというのは間違った事であるとは思わない。
関係性というものには、対等であったり、上下があったりさまざまなものがあるだろう。
その関係性にふさわしい付き合い方をすればストレスが減るのだろうか。
人付き合いは過多であり過ぎるとストレスになるのは無論だがゼロであることもまた私にとってストレスなのだ。
自分の感情を上手に伝える技術を習得したい。