裁くことで感情を隠していた

ミーティングのテーマ、『家族』。

分かち合いで改めて自覚した。

自分は、家族にしてほしくなかったこと、言われたくなかったことを、「悲しい」と表現するのではなく「その行動は望ましくない行動である。よって非難する。」と裁く形でしか表現してこなかった。

感情を表さないことが、「感情的にならない格好いい"オトナ"な人間」であり、感情的に自分に暴力をふるってくる親より精神的に成熟していて"上"だと、そう考えようとしたし、もはや意識せず当然のようにそうしていた。

 

どう感じたか、どう思ったか世間のルールと照らし合わせてでなく、ただ自分と相手の問題として考えた時の感情、そういった感覚を意識するようになって、言語化するようになって。

エネルギーはいるけれど自分の問題がどこにあるのかわかりやすくなったし改善点も理解しやすくなったように思う。

実行できているかはまだまだ別問題ではあるけれど、なにか不快な出来事が起こった時も相手を裁こうとするのでなくなぜ自分はこんなに感情を揺さぶられているのかと自分主体で考えるよう意識できるようになった。少なくとも以前よりは。

 

 

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翌日追記:

これってアサーション(アサーティブ)の基本のキなんですね。

読みなおそ。